『ここは私の居場所じゃない―境界性人格障害からの回復』
レイチェル・レイランド 星和書店 2007年
何から話せばいいかわからないんですが、わたし、境界性人格障害だったんですよね。
いまは「境界性パーソナリティ障害」と改められましたが、わたしが初診を受けたときはまだ「境界性人格障害」でした。なんとなく、人格の障害という重い響きも、好きでした。でも、それは誤解を生むからというんで、パーソナリティ障害に術語の統一が図られたらしいです。
でもね、名前は変わっても、壊れている状態は同じだよね。
『ここは私の居場所じゃない―境界性人格障害からの回復』は、境界性人格障害の著者が、精神科を受診し、寛解するまでをまとめたものです。
女性なんですが、結構酷くて、入院も何度かしています。また、感情の起伏もかなり激しいし、性的な欲求を伴う転移とかもガンガンしていて、読んでいてもつかれます。
わたしは自分もBPD(境界性パーソナリティ障害)経験者なので、「あー、わかるわかる」とか、「この人わたしよりだいぶ酷いな…」とか思いながら読みました。
ただ、普通の人が、どう読むかはわからないな、と思いました。
実はわたしには前科があるんですよね…。大学生のときに『17歳のカルテ』を観たんですが、誰が精神疾患なのかわからなかったんですよ…。後で聞いたら、主人公がBPDだったらしい…。主人公の思考、「あーわかるわかる」だったんで、異常なの気がつかなかったんだよね…。
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なので、『ここは私の居場所じゃない」も、自分がどれくらい読めているのか、あるいは健康な人は何に共感できないのか、ちょっとわからないところはあります。
しかしながら、自分はかなりいろいろなものを得たという実感はあります。
「決意」の話なんですよね。
全ての疾患は、病と共に生きていくことが最終的な命題になるのだと思います。腰痛だって糖尿病だって、天寿より先にその病気が命を終わらせることがないようにコントロールするわけでしょう。ジム行ってみたり、食事に気を遣ってみたり。でも、ジム行くのめんどくさい日もあるし、暴飲暴食したい日だってある。けど、病気を得たまま病気で死なないことが命題である限り、そういう全部と付き合っていかねばなりません。
それって案外、精神疾患でも同じなんですね。もちろん、BPDも例外ではありません。
そういうのを、自分は意識する機会がなかったので、新鮮でした。そして、BPDは寛解すると信じられたのも大きかったです。
おかげかどうかはわかりませんが、もう腕も切っていないし、安定剤も飲まなくなりました。病院も行ってません。
だいたい治った。
初診のときに、この状態はイメージできなかったので、インテーク面接のあったあの日のあの部屋にもう一度行けたら、ニヤッと笑ってあのときの自分と握手してあげたいような気持ちです。
でもけどわたし、リストカットも安定剤も好きだったんで、BPDだったことはあんまり恨んでません。わたしをBPDにした要因のことは憎んでいるけどね。BPDだったこと自体は、そういうものだな、と思っています。そしてそれは、終わってからもわたしの人格にスパイシーな何かをつけ加えてくれていて、それでわたしを気に入ってくれる人もいるみたいだし、うれしいなあと思う限りです。
もしも渦中にある人には、寛解のイメージを持つために、オススメしたい一冊です。
もっと具体的な対処法が知りたいときには、こちらなんかもどうぞ。
『自分でできる境界性パーソナリティ障害の治療 DSM-Ⅳに沿った生活の知恵』
タミ・グリーン 誠信書房 2012年