『やさしさの精神病理』
大平健 岩波書店 1995年
心理学の日本語論文にちょこちょこ引用されているので、以前から読みたいと思っていたのですが、なんとなく、「いまじゃない」という感じがして、積んでおいたのですけれど、とうとう読みました。
いやー、積んでおいた甲斐がありましたね。とても楽しく読めました。
内容は、ざっくり言うと、「やさしさって変わったよね」ということです。つまり、昔(この本が1995年の本なのでそれ以前)と、いま(1995年頃)を比べると、やさしさの温度は下がっている、と。昔は熱いのがやさしいとされていたけど、いまはぬるいのがやさしいとされている、と著者は主張しています。
わたしは1980年代の後半に生まれたので、この本が書かれた頃にはまだ小学生で、あんまりその頃の空気感というものを覚えていませんが、おそらくはそれ以前のやさしさとは松岡修造的であったのでしょう。
こんな感じのが、昔のやさしさだったのですね…。(こわいので見ていませんが、リンクだけ貼っておきますね。)
しかし、やさしさは変化していった、と。松岡修造的なものは「熱すぎる」とされ、よりぬるいものを「やさしさ」と呼ぶようになっていきます。
それは、傷つけあわないやさしさであり、そして人は弱くなっているのではないか、と『やさしさの精神病理』を読んでいて思いました。
ただ、現在的な「やさしさ」にどっぷり漬かった(もはや浸かったどころではないのである)ところであるわたしにしてみれば、松岡修造的な熱いやさしさの時代、現代的なぬるいやさしさを持ち合わせた人はどのようにして生きていたのだろう、などと思ってしまうわけです。
虐げられていたんじゃないのかな。
熱いやさしさの人というのは、イメージですけど、繊細さをあまり持ち合わせてはいないようですし、観察力もあまりない気がします。熱いやさしさの人の励ましというのは、相手のための励ましではなく、自分のための励ましとでもいうのでしょうか、後押しではなくごり押しというか、相手を自分のいいようにするための介入なのではないかなどと思ってしまうのです。
ぬるいやさしさの時代、弱い者はそれ相応に権利を保障され、自分のしたいことを好きなペースですることができるようになったんじゃないのかなあ、と思います。
昔はよかったかもしれないけど、いまはいまでいい時代だと思うんですよね、わたしは。
ともあれ著者は、現代的なやさしさを否定しているわけではないので、読んだ感じはマイルドです。
構成としては、ケース1→ケース2→ケース3→まとめ、の繰り返しで考察が進んでいきます。軽症患者の事例なので、臨床心理の面接に似ていると思いました。
また、論の進め方が流れるようで、著者の主張はとても納得的に感じられました。
でも、それっていいんでしょうかね。著者の主張に当てはまるケースを並べたら、そりゃあ、著者の主張がそれらしく思えてくるわけです。ケース全体ではどのくらいの頻度なのかとか、他の精神科医はどう言っているのかとか、もうちょっと俯瞰的に考えられるような配慮も欲しいな、と思いました。
ともあれ、おもしろかったので、この著者の「精神病理」シリーズを買い集めて読んでいるところです。
岩波文庫の赤で出ているこちらはもう読みました。
『豊かさの精神病理』
大平健 岩波書店 1990年
こちらは今日、通販で買ったものが届いたので、近々読んでみようと思います。
『貧困の精神病理―ペルー社会とマチスタ』
大平健 岩波書店 1996年